地盤が安定していない上を歩くような感覚で、今まで自分が踏んできた場所には安心感があるからいくらでも戻れるが、ここから一歩踏み出すのはやはり怖い。ボクも、そしてあなたも。「次こそは地面が抜けてしまうかもしれない」と踏み出すその一歩は億劫になる。やっぱり自分が可愛くて、落とし穴に落っこちて怪我なんてしたくないから、どうしても今まで自分が踏み慣らしてきた場所に留まってしまう。だけどそれじゃ誰の胸も打てない。ボク達は人の胸を打たなきゃいけないんだ。
『ダイヤル38』の構想は確か去年の年末あたりから。1人芝居の脚本と演出に挑戦しようと思い、出演を誰にしようかと考えた時に、「最も怖い選択は何だ?」と考え、『自分』にした。脚本・演出・出演というのは成功も失敗も全て自分の責任。今だから言えるけれど、『ダイヤル38』の幕が開ける前日の夜、怖くて怖くてしかたがなかった。ここ何か月かずっとビクビクしていて、そのピークが前日の夜に来た。ブルブル震えながらリハーサルをおこない、スタッフさんの細かいミスに過敏に反応してしまう。演技の途中に聞こえるモノ音の一つも許せなかった。あまり良い状態とは言えない。「本当に大丈夫か?本当に上手くいくのか?怖い、怖い、怖い」そんな考えばかり頭をグルグル回って、一晩中髪を掻き毟った。
「2時間の一人舞台」という状況は言葉だけ切り取れば独演会と同じだけれど、決定的に違うのが今回はツッコミのスタンスではないということ。おかしな人や現象などをエピソードとして喋る時はやはりツッコミ。ツッコミであるかぎりは、ライブに足を運んで下さるお客様がボクに持っているイメージであるから違和感はないと思うし、「違和感がない」と思ってもらえていれば、こちらも自然に舞台に入り込める。それでも第一回の時は怖かったが…。
だが今回は違う。様子のおかしい人間を演じなければいけない。これはボクが他のどこでも見せていない顔。TVでは「見せちゃいけない顔」になるのかも。とにかく、そんなだから入口は確実にお客さんに違和感を持たれてしまう。それを内容で払拭できなければ、ただの学芸会だ。そんなものにお金を払わせてしまってはいけないし、時間を使わせてしまってはいけない。ボクはお客さんを裏切りたくない。だけれど結果的に裏切ってしまう可能性がいつもより大きい。
だけど、やらなきゃいけない。ここで踏み出さなきゃ、ボクはこの先、誰の胸も打てない。踏み出せない癖をつけてしまってはお終いだ。一歩を踏み出す時、それが何のジャンルであろうと必ず風あたりがある。グチグチと言う人間が必ず現れる。それでも「知るか」と言い切って、とことんやって、片っ端から黙らせてやるとボクは決めた。だから、こんなところで足を止めちゃいけない。それがボクの覚悟。
ボクを怖がらせるのはお客さんで、だけどそんな不安を吹き飛ばしてくれたのもお客さん。初日の客入れの様子を陰から覗いていた時。本当に楽しみにしてくれている顔が確認できて、ボクは「大丈夫だ」と思ったのです。楽しみにしてくれている、という事は、きっとボクの今までの作品を見てくれているということ。そしてそこで何かしらの満足をしてくれているということ。その作品を作ったのはボクだし、そのボクが今回の『ダイヤル38』を作ったのだ。偉そうな話でゴメンなさい。
本当に幸せな4日間だった。今する話じゃないかもしれないけれど、ボクは小学2年生の頃からお笑い芸人になりたくて、そのまま高校を卒業して吉本興業に入った。キングコングというコンビを組んでNHKの賞をとって「ようやくお笑いを本格的にできるぞ」と思った矢先、WESTSIDEというアイドルグループを組まされた。今になって思うとそれはそれでいい思い出で、ボクにコンプレックスを生んでくれたからありがたい存在なんだけれど、その当時は嫌で嫌でしかたがなかった。WESTSIDEが終わろうが、それが後々まで響くのは分かっていた。そこでついてしまうイメージが弊害になることぐらい容易に想像できた。「ここから数年間、お笑いから遠ざかってしまうだろうな」と思った。ボクはお笑いがしたい。笑い声が聞きたい。笑う顔が見たい。
この4日間は、あの時の想いに本当に応えてくれた。あの時のボクが夢見た時間の過ごし方がこの4日間だった。
千秋楽。舞台上はその役になりきってヨダレや鼻水が自然と出たりもしたが、着替えで楽屋に戻る数秒間、「これが最後なんだ」と何度も思った。このセットを踏むのも最後。演技中はそれどころではなかったけれど、きっとその想いは少しずつ少しずつボクの身体のどこかに溜まっていてのだと思う。
カーテンコール。お客さんが本当に大きな拍手と笑顔で迎えてくれて、ボクは1人1人の顔を順番に見た後、「ありがとうございました」と頭を下げた。どうにかこうにかゴールテープを切れた『ダイヤル38』は連日満員。千秋楽は雨の中、当日券を求めて早朝から並んでくれたお父さんもいた。チケット代だけじゃなくて、ここに来るまでの交通費やお昼ごはん代や、そしてお客さんの人生の数時間。ボクが頭を下げた相手は、このクソッタレのボクにそんな尊いものをわけてくれた人達。なかなか頭が上げられなかったけれど、もう拍手を数分間させてしまっているし、「いいかげん終わりにしないといけない」と思い、頭を上げた。その時の景色に涙がボロボロ出た。
お客さんが全員立っていた。
スタンディングオベーション。ボクはこの人達がどうしてこんなに優しいのかよく分からなくて、『怖さ』だとか『お笑いがしたい』という溜まりに溜まった気持ちがそれに拍車をかけて、涙が止まらなくなった。次から次へと涙がボロボロ流れた。ボクがやった事はコメディーだし、泣いたらカッコがつかないから急いで涙を拭いた。
その時に再確認。ボクはやっぱりあなたと生きる。あなたはお客さん。玉手箱を開けるならあなたと一緒で、あなたと一緒にお爺ちゃんになる。頭をガシャガシャ掻き毟って次の作品を作る。そしてあなたに観てもらう。その出来が良ければあなたに褒めてもらう。あなたに頭をなでてもらう。ボクはあなたにそんな事をしてもらっているから、例えばあなたが一歩を踏み出す勇気を持てなかった時、ボクを見ればいい。怖がりながらも、バカみたいに一歩一歩、足を前に出しているから。例えば脚本演出をする時、例えば絵本を描く時、最初は「なんで芸人がそんなことをするんだ?」という凝り固まった風あたりがボクに吹くけれど、関係ない。圧倒的な作品を見せつけて黙らせる。そのことが、あなたが踏み出す一歩の後押しになればいい。今日のようにあなたがボクを全力で褒めてくれたお礼。ボクはあなたの事がたまらなく好きだ。
今回は本当にどうもありがとう。あなたがいてくれて本当に良かったです。これからもあなたの笑い声が聞きたい。なので、さっそく次を作ります。驚くようなモノを作るから少し待ってて下さい。一緒に歳をとりましょう。区切り区切りでハッピーエンドを作りましょう。
ありがとうございました。
西野亮廣
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