イタリアより無事に帰国いたしました。
仕事を除いてのヨーロッパは今回が初めてで、いやが上にも胸躍るボクは、集合時間10分前にスタンバイ。恥ずかしいが、ドキドキを抑えきれない29歳なのだ。
そいつを出鼻から挫いたのが、今回の旅に同行した糞ダルマである。堂々遅刻してきた上に、風邪をひいて時折咳をゲホゲホこぼすという、いかんともしがたい旅の向き合い方。
そして道中では、何故か途中でマスクを付けなくなり、裸で咳を撒き散らしはじめる。いまさら、「咳をしてるのならマスクをつけなきゃ、人に迷惑がかかるよ」なんて言葉を口にしたくはないし、怒って旅の雰囲気を悪くもしたくないボクは、鞄から荷物を取るフリをしてマスクを取り出し、「マスクいる?」と遠回しに至極親切なトスをあげるも、「あ、全然大丈夫です」とバッサリ断られる。
そのマスクを無理矢理押しつけることは、結局「マスクをつけろよ」と注意しているのと同じ意味になってしまう。悩んだ挙句ボクは、そのマスクを自ら装着したのだ。あってはならない逆転現象である。しかし風邪をうつされるのは嫌なので、グッと我慢。ああ、腹立たしいったらありゃしない。
普段から上下の礼儀に対してもなかなか難のある彼は、席が一つ空いていれば迷いなく我先に座り、荷物を先輩に見させては一言もなく席を離れ、何度注意しようが断りなく煙草を吸い、禁煙者であるボクの顔面に副流煙をぶちまけるという愚行のオンパレード。ついでに言えば、「西野さん、変圧器って何すか?」ときた。知らないということは、もちろん持ってきているはずもない。ボクのを貸したわけだ。
苛立ちの針は今にも振り切れようとしていた。されど、旅は我慢。彼に下る天罰を待ち、イタリア旅行を進める。
ローマの朝7時。
早朝ジョギングに出るボクの“イタリアでもあいかわらずな姿”を、面白がって写真におさめようと、糞ダルマはパンツ一丁で部屋を飛び出し、そのままオートロックで廊下に締め出されるというレトロなドジをかます。
さすがの阿呆にあきれたボクは、彼を置き去りにしてホテルを出る。立ち去るボクの背中に聞こえてきたのは糞ダルマの悲壮な叫び。母国語以外話せないイエローモンキーの彼は、廊下に備え付けてある電話を駆使し、イタリア人ホテルマンが構えるフロントに繋げ、「ジャパニーズ!キー!ジャパニーズ!キー!キー!キー!」と鳴いた。失格の烙印を押すように、街の教会の鐘が無情に鳴り響いたのであった。
その後も糞ダルマは、観光地に行けば、「ナカタ!ナカタ! シュンスケ・ナカムラ!」と声をかけてくる日本人観光客狙いの「THE・ボッタクリ」にいとも簡単引っ掛かり、手にミサンガをまかれ10ユーロを請求され、バラの花を持たされてはバラ代を請求され、挙句の果てには、ローマの地下鉄でジプシーに財布を引っこ抜かれ、駅ホームで財布争奪戦の大立ち回りをやってのけたのだ。無事、財布は死守したが、糞ダルマには十分すぎるほどの天罰が下り、笑わせてもらったので、ボクもようやく気持ちの整理がつく。
「グラッチェ」と「チャオ」だけで、イタリア旅行を満喫できたのは、向こうで出会った日本大好きイタリア人の「フェデ君」と、デザインの勉強で留学している日本人の「なっちゃん」のおかげだ。二人は大の仲良しで、互いに連絡を取り合いながら、身体のあいている方がボク達の相手をする、という親切極まりない涙チョチョ切れる連携プレーを見せてくれた。
ローマの街はフェデ君と回った。ベルリンの壁崩壊からちょうど20年を迎えた11月9日、街では式典が行われ、「イマジン」が流れていた。そういえば子供の頃、唄い出しを「♪ Imajin唄う、John Lennon~」と替え歌していたっけ。
一眼レフを片手に、写真は結局500枚ほど撮った。集合写真なんかは糞ダルマが撮っていたので、ボクが撮った写真には、人は写っておらず、そのほとんどが建築物の細部。もちろん絵本第2弾「Zip&Candy」の資料である。
写真を撮りながら思ったのは、皆さんも経験おありだと思うが、壮大華麗な景色は写真にはおさめきれない、ということ。プロの写真家さんでもないので、シャッターを押すしか能がないボクには、景色を前にまったく歯が立たないのだ。だからこそ、その場所に行くことが重要になってくる。景色を体験して、身体の中に残すしかない。
フェデ君は日本語が本当に上手で、建物の歴史の話をたくさんしてくれた。サンピエトロ大聖堂の展望台から一望したローマの街には圧倒的な物語があって、その空に絵本の主人公ジップとキャンディを勝手に飛ばしてみたりもした。「ジップなら、羽休めに、きっとあの屋根に座ったりするんだろうなあ」と想いながら、シャッターを切った。
夜は、フェデ君と適当な店に入り、たくさん話した。日本が好きな彼は日本人女性も大好きで、日本人女性に対してちょっぴりHな願望を持っているところも愛らしかった。たくさん勉強して、将来は日本で働くらしい。絶対に迎えに行こうと思った。
ローマには2日間いて、その次の日にベネチアへ飛行機で飛んだ。今回のイタリア旅行でボクが「どうしても行きたい」とワガママを通した場所。ベネチアへはわざわざ「なっちゃん」が着いてきてくれた。チケットの手配なんかを全てやってくれたのだ。そして、なっちゃんに先導されベネチアの街を歩いた。
ボクは路地裏が好きだ。先が良く見えるメインストリートよりも、少し危ない匂いのする細い道をウネウネ曲がった先に、突然広がる景色を期待できる、「路地裏」が好きなのだ。ベネチアの街は、路地裏と運河が生活にまかせて縺れ合っていて、どこを歩いてもボクをドキドキさせてくれた。
街にはピザの良い匂いが漂って、子供らは隊を組んで笑顔で楽器を鳴らし、「アメをよこせ」と店に押し寄せていた。クロワッサンが美味しくて、ホテルの窓を開ければ、クロワッサンの形をした手こぎ舟が横切り、夜になれば手こぎ舟の形をした三日月がベネチアの街を照らした。
夜は、これまた適当な店に入り、なっちゃんと呑んだ。単身でイタリアに乗り込んだなっちゃんの話は面白かった。デザインの話をたくさん聞いて、少し熱くなったボクは、三谷幸喜さんと後藤ひろひとマンの魅力を延々語った。糞ダルマが横から、「その話、日本でよくね?」と見事に的を射たツッコミが入り、日本に帰ったら『パコと魔法の絵本』と『ザ・マジックアワー』のDVDを送るよ、と話は終了。ホロ酔いで、細い運河沿いの石畳の道をホテルまで歩いて、朝8時に集合ね、と別れた。
たくさん寝るのはもったいなので、朝の4時半には起きて、5時過ぎにジョギングに出た。その時間は、どこを走っても、人っ子一人いなかった。街灯がポツンポツンとついているだけで、残りは月明かり。まだまだ夜だった。ベネチアの街に一人、またまた胸がドキドキした。
5時半に教会の鐘が一つ鳴って、6時に鐘が二つなった。6時を過ぎると、街が起き始めて、支度を始めるパン屋さんがシャッターを開いて、ホッとした。そしてカモメが鳴いたら、ベネチアの朝がやってきた。ホテルには7時過ぎに戻った。ボクの人生の中でとても貴重な2時間だったように思う。そんな夜明けだった。
日本へ帰る日は、ベネチアからローマ空港へ飛び、そこで飛行機を乗り継いで、日本行きの便に乗る。乗り継ぎを不安がるボク達を、またまたなっちゃんが助けてくれて、「そこまで付き合いますよ」と先を歩いてくれた。ところが“乗り継ぎ口”の方には行かず、空港を一度出てしまうなっちゃん。失敗したか、と思いきや、そこで待っていたのはフェデ君。
二人のサプライズだったのだ。
イタリアの絵本のおみやげと、二人からの手紙を受け取り、「絶対にまた逢おうね」と別れた。今回のイタリア旅行は、二人のおかげで、とても優しい時間に包まれた。1か月続いた頭痛はすっかり治り、身体の中にはしっかりと絵本の街の景色が残ったのだ。
今日からは、どすこいモノ作り。ありがとう、フェデ君。なっちゃん。頑張るよ。
今回の旅では、ひとつだけ失言があった。それはバスの車中で、海の向こうに見えてきたベネチアの街を見た、やはり糞ダルマの糞発言である。
「うわあ、西野さん。熱海みたいでキレイですね~」
熱海に行け。
2009.11.23 第19回映画祭 TAMA CINEMA FORUM 『日の出アパートの青春』
2010年1/10(日)1/11(月)1/12(火) 六行会ホール 『クソろくでもない夜』
1月10日(日) ※順不同
西野亮廣(キングコング)、イシバシハザマ、ふくろとじ、川口清之(ロシアンモンキー)、房野史典(ブロードキャスト)
1月11日(月) ※順不同
西野亮廣(キングコング)、イシバシハザマ、ふくろとじ、ロシアンモンキー、ブロードキャスト、平成ノブシコブシ、こりゃめでてーな、若月、スリムクラブ、ゆったり感、5GAP
1月12日(火) ※順不同
西野亮廣(キングコング)、イシバシハザマ、川口清之(ロシアンモンキー)、房野史典(ブロードキャスト)、ツネ(2700)、片岡正徳(オオカミ少年)、斉藤司(トレンディエンジェル)、玉城泰拙(セブンbyセブン)、井下好井、ササキりな、江崎隆文(ゆったり感)、エハラマサヒロ、出雲阿国、吉富Aボタン、若月徹(若月)、MASA(ヨコハマナンバー)、あっぱれコイズミ、堤下敦(インパルス)
※出演者は変更、追加する可能性があります。