2009/11/10
ヤクとヤヨイの千年物語 ~前篇~
「Dr.インクの星空キネマ」には、
夜空の星を動かす、グッドモーニング・ジョーという名の星空コーディネーターがいました。
隣の星へハシゴをかける、トキオ・ジェイコブという名のハシゴ屋がいました。
世界中の人が眠った時に見る夢の脚本を書く、Dr.インクという名の脚本家がいました。
Dr.インクが書いた脚本を世界中の人々のもとへ配達する、マルタ・サンポ―二ヤという名の配達員がいました。
そして、
大きな音を鳴らして太鼓を叩き、村人から忌み嫌われ死んでいった、ヤクという名の醜いバケモノがいました。
このお話は、その醜いバケモノの本当の物語‥‥
『ヤクとヤヨイの千年物語』
昔々あるところに、生まれたばかりの赤子を、貧しさの末に捨ててしまった母親がおりました。母親は10日間泣き続け、ついには涙をからしました。愛おしくてたまらなかった我が子はもう目の前にはいませんが、母親の頭の中には我が子の残像がくっきりと残っています。こんなに辛い思いをするぐらいなら愛する我が子のことを忘れてしまいたい、母親は思いました。
ある山に、全身が緑色をした怪物がいました。その怪物の好物は人間の肉体ではなく、その人間の頭の中にある、その人間がもっとも愛している人の記憶でした。この怪物に喰われると、頭の中からもっとも愛している人の記憶だけが抜き取られてしまうのです。
怪物の噂を聞きつけた母親は、その怪物が棲む山へと登りました。自分がもっとも愛している赤子の記憶を抜き取ってもらい、少しでも気持ちを楽にしようと考えたのです。まもなく、母親の目の前に怪物が現れました。母親は我が子に「さようなら」と言い残し、覚悟を決めました。次の瞬間、怪物は大きく口を開き、母親をぺロリと飲み込みました。とはいっても、肉体を喰ったわけではないので、母親の身体は怪物の身体を通り抜けました。同時に、母親は自分がもっとも愛している人の記憶を失いました。
「ワタシはだあれ?」
それから数年が経ったある日のこと。そんな緑色の怪物の姿を今日も木の陰から見ている少年がいます。数年前にあの母親に捨てられた帰る場所のない子。正真正銘、人の子です。少年の名は「ヤク」といいました。最初はヤクも怪物の姿にはたじろいでいましたが、毎日見ているうちに怪物がそこまで悪い生き物には思えなくなってきました。ヤクの知っている限り、怪物の方から人を襲ったことが一度もなかったからです。怪物が喰うのは「記憶を食べられたい」と求めてくる人間ばかりでした。
怪物の本当の顔を知りたくなったヤクは、木の陰から身を出し、怪物に話しかけました。怪物は、ヤクの声がした方に顔を向けました。が、少し目線がズレています。やはりヤクが思った通りでした。緑色の怪物は眼が見えていません。相手の位置を声で判断しているようです。そのことを知ったヤクは、自分の場所がハッキリとわかる大きな声で怪物に話しかけました。
「やあ、ボクの名前はヤク。キミの名前は何ていうんだい?」
怪物はあっけにとられました。この調子で人間に話しかけられるのは初めてです。「私が怖くないのかい?」と怪物は言いました。
「怖くなんかないよ。人を信じられなくなる方がもっと怖いよ」
しばらく黙って向き合った後、怪物は言いました。「私の名前はヤヨイ」
ヤクは不思議な少年でした。たったの一言で怪物の心を開いたのです。
気がつけば、ヤクとヤヨイは毎日一緒に遊んでいました。お互い、身のよりどころがここしかなかったのです。ある日、前々からヤヨイがこの場所から離れないことが気になっていたヤクは、「遠くに行きたいと思わないの?」とヤヨイに訊きました。ヤヨイは、迷子になるから、と答えました。そうでした。ヤヨイは眼が見えません。一人で遠くに行くことなどできないのです。
次の日。ヤクは村の蔵から大きな大きな太鼓を持ち運んできました。「これは?」とヤヨイが訊くと、「この太鼓をめいっぱい叩き続ければ、この音を背中にしてここから離れていくこともできるし、この音をたよりにここに帰ってくることもできる。これでヤヨイも遠くの景色を観に行けるよ」
驚いているヤヨイの顔を見て、ヤクはイタズラな笑みを浮かべました。
「ドン、ドン、ドコドン‥」
少年の叩く太鼓の音など小さく、その音が遠くまで響くはずがありませんでした。結局、ヤヨイは遠くの景色を観に出掛けることもありませんでしたが、それよりも素晴らしい景色がヤヨイの日常に広がりました。ヤクの気持ちが嬉しかったのです。
ヤクは、村の嫌われ者になっているヤヨイを守るのは、自分しかいない、と思っていました。
ヤヨイは古くからこの山に棲みつく怪物。とうとう寿命が迫ってきました。その事に気がついたヤクは「ヤヨイが死ぬならボクも死ぬ」と、ムチャなことを言いだしました。「どんな形になっても一緒にいよう、ヤヨイ。約束だよ」 ヤクはまだまだ子供です。ヤヨイには、ヤクのことなら本当にやりかねない、という不安がありました。 「ダメよ」ヤヨイは何度もヤクに言いましたが、ヤクは聞く耳を持とうとしません。
いよいよヤヨイの寿命が迫ってきました。木の下で横たわったヤヨイはヤクに言いました。「さようならヤク、楽しかったわ」 ヤクは口を尖らせて言い返します。「さようなら、じゃないよ。ボクもすぐに‥」次の瞬間でした。
ガブリッ。
ヤヨイはヤクを飲み込んでしまいました。「さようなら、ヤク。あなたに逢えて幸せだったわ」
ヤクは答えました。
「アナタはだあれ?」
※明日(後篇)に続きます。




