日本語と日本文化を都合良く利用する人々
『能ある鷹は爪を隠す』という言葉と、『努力していることを隠す』という言葉では、意味がまったく違うのだ
小学生の頃、学校の先生が「努力は、やたらめったら人に言うもんじゃありません」と言っていた。そのことを例える時に、『能ある鷹は~』という諺を引っ張り出していたのが不思議でしかたがなかったのだ。
『爪』とはすでに兼ね備えている能力で、つまり、『能ある鷹』というのは天才の事だ。低く見積もっても熟練の実力者を指すだろう。才能や、すでに培った実力なんてものを持ち合わせているのであれば、そりゃ勝負所まで隠しておいた方がいい。
しかし努力は別だ。
「努力はやたらめったら人に言うもんじゃない」という先生の言葉は間違ってはいないと思うけれど、「ただ、黙ることは逃げ口実にもなりますよ」という言葉を付け足さなきゃいけないと思う。
ただ他人に言いきれるほどの努力をしていないだけなのに、『能ある鷹は~』という諺を都合良く利用して逃げ切れてしまう。「努力を人に言いふらすのは美しくない」という日本文化のもっともらしい理由で、自分の怠慢に蓋をしてしまう。
努力は生まれ持った才能なんかじゃなくて、現在進行形で、もっと泥臭いもの。よっぽどの確信がない限りは、自分を『能ある鷹』にカテゴライズさせないほうがいいと思う。言葉を強引に繋ぎ合わせて、自分が逃げている状況を正当化してしまうのはよろしくない。
中学生の頃、テレビでナインティナインの岡村さんが「自分は努力家だ」と言ってらしたのが、とても嬉しかった。言った以上、面白くなかった時の責任は全て背負わなきゃいけない。もう逃げれないんだもの。ボクは宗教だとか、宗教臭いお笑いがあまり好きではなので、そういうふうに分かりやすく覚悟を示してくれる人が好き。「ハイリスク、ロウリターン」で素敵じゃないですか。
別に「言いふらした方がいい」とは言わない。ボクは退路を断ちたいから言うけれど、そこは人それぞれ。だけど、あなたが口を塞いでいる本当の理由は、自分に問わなきゃダメだ。もしも、己の怠慢を逃がしてやる為に黙っているのであれば、それは違うと思う。
過程は大事。だけどそれは「上手くやれ」ということではない。ズッコケても、泥んこになっても、不格好な走り方でもいい。大切なのは、やっぱりどこかで結果を出して、あなたが、あなたのまわりの半径何メートルかの人を守ってやれるようになることだと思う。
日々、自分に言い聞かしていることです。こうでもしなきゃ、ボクはすぐに逃げるから。
2010/2/5(金) 新宿ロフトプラスワン 『ろくでもない夜~2周年だよ!!~』




