2010/01/23
抑え込まれてムフフのフ
「幸せになりたいなあ」なんて思いながら頑張って、数年前の朝、大好きな彼女と犬の散歩をしていた時に、突然ゾクッとして、「これじゃいかん」となった。そして今は、やっぱり「幸せになりたいな」なんて思っている。でも結局は、それも最後の最後で拒むのだと思う。まいったね、こりゃ。
あいかわらず部屋はヒドイ有り様。頂き物を捨てるわけにはいかないし、そのクセ、収納スペースが少ないもんで、物が散乱している。実家から母ちゃんが遊びに来る時、母ちゃんは「これは必要やから」と必ず何かを持ってくる。家なんて作業しに帰る場所だから、生活に便利な品なんてものはあまり必要ないのだ。しかし、「頭がおかしくなりそうやからあまり物を持ってこないで」と懇願したところで、そこは親心が勝り、「だって、必要やん」と返され、家はどんどん物で溢れる。やはり、子が心配な母なのである。
まあ、それはどこまでいってもボクの母ちゃんのことだから、最終的には微笑ましく受け止められるんだけれど、人が往々にして他人を自分の価値観からはみ出させないように働いてしまうのは、あれは一体なんだろね?
きっと不安なんだと思う。誰だって、取り残されたくはないから。だけど、そんなことを繰り返してちゃ何も生まれない。気持ちはすごくよく分かるけど、ボクは、あんまりそういうのは好きじゃない。他人に迷惑をかけない範囲で、各々が各々の思うようにやればいいと思う。他人の人生の舵を少しでも奪うのはね、やっぱりおこがましい事だと思ってしまう。もっとも、それはボクの考えであって、正解かどうかなんて分からない。なので、この意見を押しつけるような事もしないけど。
もちろん他人の声は気になる。それに対してビクビクしてしまうこともある。もしも、他人の声というものがいついかなる時も正解を叩きだしているのであれば、そう思えるのであれば、その時は従えばいいと思う。だけどいつだって他人の意見が増大した時というのは、その意見の賞味期限は切れかかっているよ。皆が足踏みをしたから意見がまとまるんだもの。皆が足踏みしている時ってのは、チャンスなのだ。
いつからか「若手芸人はこういうふうに活動しなければいけない」という風潮が出来上がっていた。だけどそれというのは、一つ前の若手芸人の成功例を辿れ、ということでしょ? だけど、どう考えたって二番煎じで生き延びる方が難しく思ってしまった。だから、何年前だったか、先人とはまったく違う飯の食っていき方をしてやろうと決めたのよ。失敗しても、そっちの方が納得いくしね。なにより、ドキドキする。
不況なんてのも一緒。モノを作る人にしてみれば大チャンスだと思う。売れるモノしか作らせてもらえないご時勢で、そういう作り手ばかりになりつつあるんだもの。
「創造」とは、独自のモノを作るということなのだ。楽しい時代ですよ。




