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2010/02/14

砂場で友達を待つ間

たしかに「努力」という言葉しかないから、頑張ることが努力となってしまうんだけれど、もっと別の言葉があれば、使い分けたいもんだ。

ボクと同じ職種の人から、「努力ができないんです」というような溜め息をこぼされる場合がたまにあるが、困る。努力ができない自分を嘆いたところで、そんなところに答えなんてないもん。努力ができないということ、つまりは、人を楽しませたいという気持ちがその程度しかないということだ。嘆かなきゃいけないのはそっちで、それは本当に嘆くべきことだと思う。

たとえばそれはブログ一つとっても。途中で簡単に放り投げてしまう人を見ると悲しくなる。それを当人は「続けるのがしんどい」と言うが、それは、ちょいと順番が違うのだ。

人を楽しませたくて、ドキドキさせたくてたまらない。その為にはどうすりゃいいか? あれをやれば喜んでもらえるんじゃないか? いや、あっちをやった方がもっとドキドキしてもらえるかも。よし、やろう。早くやろう。

それが、結果的に「努力」になっている。本人はやりたくてしかたがない。寝る間を惜しんでネタを作りたくて、脚本を書きたくてたまらない。そりゃ、たまにツライ時もあるけどね。だけど、正しい順番はそうだ。「努力ができない」と嘆いているうちは無理。そんなことより、人を楽しませることを好きで好きでたまらなくなっちゃえばいい。

スッポンのようにしつこい袖山さんは、「ここをもうチョット‥」「もしかしたら、ここを‥」と何度も何度も原稿の直しを要求してくる。『ほぼ完成』の合格印を押してからも、何度も何度も。さすがに先日の呑みの席で、「袖山さんはしつこい」とネタにされていたが、小説を一文字でも良くしたくてたまらないのだ。読者を少しでも楽しませたくてしかたがないのだ。呑みの席でネタにされてしまうぐらい。ボクは、そういう偏った人間が好き。それがこの世界の信用。

ボクらのやることは「努力」というよりも、「仕掛け」という言葉の方が近いかもしれない。しかし、人に説明する時に「仕掛けをしてます」と言ってもキョトンとされてしまうから、今のところは「努力」というほかない。やっぱり、適切な言葉が欲しいなあ。

ニヤニヤしながら落とし穴を作っているような感覚なのだ。

2010.2.22(月) 仙台ジャンクボックス 『第44回 西野亮廣独演会 仙台公演』