2010/02/ 2
どこまで行っても明日がある
キナ臭いと思っていたら、やっぱりトラブルがあったみたい。今月22日の仙台の独演会の件。とりあえず予定通りライブはおこなうようだ。半端な仕事に対して許せない部分はあるけれど、それとこれとは別の話。やると決まったからには、全力でやる。仙台での独演会を楽しみ倒すのだ。よし、やるぞ。
今日は番組収録があった。と言ってもレギュラー番組ではなく、NHKさんの『笑いがいちばん』のゲストで。実は一昨年から、呑み仲間の丸林さんからお話をいただいていて、いろいろ都合がつかなく、ついに今日までもつれた。申し訳なくも、ありがたいのが、憧れの昭和のいるこいる師匠と共演させていただいたこと。
自分たちの漫才出番を終えて、舞台袖から師匠の漫才を勉強させていただく。一体、何がどうなって、ああいう形の漫才が生まれたのか不思議で、そして師匠の一挙手一投足に笑わされて、胸がドキドキした。
コンビを組んだ当初、いつかテレビに出たい、と思って漫才を作ってはいたけれど、テレビで知ってもらえるキャラクターが漫才の障害になりうる、という事など思ってもみなかった。漫才を作っていて、自分たちの中では嘘などないのだけれど、テレビで自分たちの事を知ってくれた人たちからしてみれば、キャラクターのギャップに違和感を覚えて、そしてボクたち自身もお客さんのその温度を肌で感じるようになって、コンビ結成2年目の頃からだんだんと漫才がやりにくくなってきた。先輩方がネタをしなくなる理由が少しだけ分かった。
だけど漫才は続けたいし、どうしたもんか、といろんな漫才を漫才を見ている時に、昭和のいるこいる師匠の漫才に辿りついた。こういう会話も漫才で成立するのか、と。慌てて他のネタも見て、2本見終わった頃にはもうすっかり虜。
漫才中だけのキャラクターを作って成立するのは、漫才での姿しかさらしていないコンビ。それ以外の姿を知られた以上、コンビの本当の関係性を知られた以上、その減らされた選択肢の中で漫才を作っていかなきゃいけなくなる。
正直、息苦しい、と思ったけれど、そんなのは言い訳で、負け惜しみで。そんな中にあって、昭和のいるこいる師匠はフリートークそのままの漫才を悠々とやられていたのだ。ボクはそれで救われた。未来があったのです、そこにハッキリと。
のいるこいる師匠の漫才を舞台袖で見てケラケラ笑っていたら、視線を感じて、目をやると、林家正蔵師匠が本当に優しい顔で微笑んでくださっていて、たまらなく嬉しくなった。そんな師匠方を前に、自分はあまりにもひよっ子で、みじめに感じるぐらい小さかったけれど、だけど嬉しくなれた。
番組スタッフの皆さんもニコニコと収録を観ていらして、みんな演芸が好きなんだなあ、とまた嬉しくなれた。
とても素敵な現場でした。
『ドン・ガバチョの未来を信ずる歌』という歌を御存知でしょうか? ベンジーの言葉を借りるなら、「俺の血はそいつでできてる。12歳の細胞に流れ込んだまま、まだ抜けきれちゃいない」のです。皆さんのもとに素晴らしい明日が降りますように。
今日がダメなら明日にしまチョ
明日がダメなら明後日にしまチョ
明後日がダメならシ明後日にしまチョ
どこまで行っても明日がある ホイ!




