2010/03/20
言っておくが、俺たちゃ負けてるんだぜ
子供の頃、映画『シザーハンズ』を観て感動した人の中に、あの作品が、「どうして雪は降るの?」という孫の疑問に対し、お婆さんが答えてあげた物語だということを忘れてしまっている方も少なくないのでは?
少なくともボクはすっかりその部分(冒頭のお婆さんと孫の対話シーン)を忘れていた。大人になって観返した時に、「ああ、なるほど」となったが、子供の頃はハサミで犬の前髪を切ったり、大好きな女の子を抱きしめられなかったり、氷を削って雪を降らせたシーンが印象強くて、そればかりが記憶に残った。だけど、それはそれで、子供の頃もとても大好きな映画には違いなかったのだ。
童謡『ぞうさん』にしてもそうだ。「ぞうさん、ぞうさん。お鼻が長いのね」とコンプレックスを突かれても、「そうよ。母さんも長いのよ」とジョークで返す。生き方の教科書のような歌詞。だけど、そういった深い意味すら知らなかった子供時代も、それはそれで、やはり大好きな歌だったのだ。
作品は動かないけど、子供はいずれ大人になる。作品には、きっとその時々の楽しみ方があるのだと思う。
数年前。自由が丘のバーでタモリさんと呑んでいた時、「どうして僕らの子供の頃にはドキドキする絵本がなかったのかねえ?」という話になった。そもそもそんな絵本は世の中に存在しないのか、それとも、存在しているけれど流通がどこかでストップしているのか。きっとこの二つのどちらかだな、ということになった。あの夜、「大人はバカだからね。子供よりも自分たちの方が上だと勘違いしてるんだよ」とおっしゃったタモリさんの言葉が今でも強く残っている。
その話の流れで、数年後に『Dr.インクの星空キネマ』という本が出来上がって、それを世に出すことができた。その時に、チラホラと耳に入ってきた大人の声を聞いて、「ああ、なるほどね」となった。
「これは大人向け? それとも子供向け?」
こんな声があるから、子供の頃のボクらの手元にはまわってこなかった。世の中にはやっぱりドキドキするものが存在する。だけど戦時中の検閲官のような仕事を罪悪感なく好意でやってしまう大人がいて、そこに囲われている子供は、大人がイエスを出したものしか目にすることができない。
もしかしたら『ぞうさん』の歌詞も危うかったのかも、と思ってしまう。あの歌詞に関しては、大人自身もその意味を理解しないままだったから世に出れたものの、その意味を知った阿呆が「差別だ!」と声を荒げる可能性がおおいにあったわけだ。コンプレックスなんぞ蓋をしたところで消えやしない。だったら笑いとばせばいい。
こんな実験がある。
鉛筆で黒い丸を書く。「これは何ですか?」と大人に訊くと、「黒い丸」「鉛筆で塗りつぶした円」という答えが返ってくる。
同じものを子供に見せたら、その答え以外に、「カブトムシ」「ゴキブリ」「宇宙」と様々な答えが返ってきたという。ただの黒い丸が「宇宙」になっちゃうのだ。「黒い丸」としか答えられないボクらが抑えつけられる相手じゃないよ。
そしてボクら大人はそこでの敗北は認めなきゃ、自分のものさしの範囲内で繰り広げられるあまりにも予定調和な世界を創ってしまう。そんなものは全然面白くない。
大人にしかできないことがある。それは自分のエゴで子供の想像力に制限をかけるという残念なことではなくて、ルールに怯えて頭が凝り固まってしまった自分を認めて、その中でどう悪あがきを続けるか。自分と自分の周りの毎日をどれだけ楽しく昇華できるか。
ボクらにできることは、せめてそんなことだと思います。




